2024(汇丰彩票平台,汇丰娱乐6)年度学位記授与式 式辞

 大学院人間生活学専攻修了生、文学部ならびに人間生活学部卒業生の皆様、本日の学位記授与式を無事お迎えになられ、誠におめでとうございます。また、今日この晴れの日を迎えるまで日々学生達を支え応援して来られた保護者?ご家族の皆様にも心から祝意をお伝えしたいと思います。おめでとうございます。そして藤女子大学をお嬢様の教育と勉学の場としてお選び下さったことに心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

 また、本日の学位記授与式にあたり、ご多忙の中ご来賓としてお越しくださいましたカトリック札幌教区長 ベルナルド勝谷 太治司教様、本学の同窓会である「藤の実会」会長 鵜飼 紅良様、さらに昨年4月に誕生した藤天使学園傘下の姉妹大学である天使大学の田畑 邦治学長ならびに岩間 久哉学園事務局長、本日はご列席頂き重ねて御礼申し上げます。いつも本学のためにお力添え下さり、誠に有難うございます。

 さて修了生と卒業生の皆さん、「卒業」は英語で何と言うでしょうか。多くの方は“graduation”という言葉を思い出されると思います。実はもうひとつ別の表現があります。それは“commencement”です。こればフランス語の「始める」を意味する”commencer”から来ています。つまり、卒業は「終わり」ではなく、むしろ「始まり」なのです。そうです!皆さんは今日から新しい「始まり」を経験するのです。おめでとう!と申し上げるのは無事に卒論や卒研を終えて学業に終止符を打ったからだけではありません。今日ここから皆さんの新たな人生が始まるからおめでたいのです。しかし、新しい出発や旅路には大きな不安もあるでしょう。職場という新しい環境、そこでの上司、先輩、同僚との人間関係、通勤時間や拘束時間もアルバイトの時より厳しくなったと感じるかもしれません。新しいチャレンジには新しい苦労もつきものです。そんなときに皆さんに思い出して頂きたいことが3つあります。

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 一つは、「神は私たちが乗り越えられないような試練は与えない」ということです。聖パウロのコリントの信徒への第一の手紙第10章13節には次のようにあります。「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、抜け出る道をも備えていてくださいます。」自分が試練や苦労の真っ只中にいるときは世界中で自分が一番苦しんでいると感じることでしょう。しかし、その試練や苦労を正面から受け止めむしろ積極的に受け入れることで苦しみの「相対化」ができてより客観的に自らの状況を理解できるかもしれません。そうなればしめたものです。苦難からの出口も見えてくるでしょう。私たちが乗り越えられないような試練を神様は与えない、このことを是非思い出してください。

 もう一つ皆さんが新しいチャレンジに臨んだときに思い出して頂きたい言葉があります。これも聖パウロの言葉でテサロニケの信徒への第一の手紙の結び(第5章16節)にあります。それは「いつも喜んでいなさい」というメッセージです。喜べるような状況にない時にどうやって喜んだら良いのか、疑問に思われる方も多いと思います。喜べる時には喜ぶけれど、そうではない時には喜べない、そう考えるのが普通でしょう。

 ここで当時の背景を考えてみましょう。テサロニケはギリシャの町ですが、そこにパウロがやってきて福音を述べ伝え小さなキリスト教徒の共同体ができたのでしょう。しかし、パウロはやがて別のところに宣教に行ってしまう。テサロニケの信徒たちは少数派だったわけですから、不安にさいなまれるわけです。そこでパウロはこの手紙を送ってテサロニケの信者たちを励ますわけです。このメッセージの力点は「いつも」というところにあります。どんな状況にあっても喜ぶ、とはどのようなことを言うのでしょうか。そのようなことは普通の人間に出来るのでしょうか。旧約聖書の『箴言』(しんげん)17章22節にヒントがあります。そこでは「喜びを抱く心はからだを養うが、霊が沈み込んでいると骨まで枯れる」とあります。つまり、精神的に落ち込んでいるとフィジカルまで弱くなるが、喜んで生活しているとフィジカルにも強くなれるということではないでしょうか。一言で言えば「思い悩むな」ということになるかもしれません。マタイによる福音の第6章には「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」と山上の説教でイエスが説いたとあります。ここには「聖なる居直り」とでも呼べるような人間の底力を感じ取れるのではないでしょうか。あれこれと思い悩むのではなく、喜びのマインドセットで困難を乗り切って参りましょう。

 最後にもう一つ皆さんに思い出して頂きたいのは「互いに愛し合いなさい」というイエスのメッセージです。これはヨハネによる福音書の第15章にありますが、「わたしがあなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい」という有名な箇所です。父なる神からイエスに、そしてイエスから私たちにと言わば「愛の本流」が受け継がれてきたことを受けて今度は私たちのあいだで人間関係を構築する時の原理原則、あるいはイエスの言われる「掟」がまさにこの「愛」なのでしょう。

 情報技術(IT)が進化し、ChatGPTやDeepseekなどの人工知能(AI)が私たちの知的活動や生活全般の中に入ってきたとしても愛だけはいわば「聖域」として人間に許された意志の行為であるし、またそうあり続けるべきだと思います。愛についてもう一言付け加えるとすると、皆さんにはまず自らを愛して欲しいと思います。自らを愛する、自分を大事にして自己を肯定するところから始まってください。そしてその溢れんばかりの愛で家族や友人を、パートナーを愛してください。でも愛はそこには留まりません。さらにその「愛の水平線」は広がり、地域社会や祖国、そしてさらに地球全体に広がって行くでしょう。そして今日朗読されたマタイの福音にあったように、この地球のどこかで出会うであろう「最も小さなものの一人」に、その人が必要とするものを与えてあげてください。それが愛のダイナミズムであり、愛の真実です。私たちの学園のモットーである「愛を通して真理へ」(per caritatem ad veritatem)の完成された姿がそこにあります。

 結びに、皆様一人ひとりの上に、そしてご家族の上に、神様の愛と慈しみが豊かにありますよう祈りつつ、皆様を送る式辞と致します。

 2025年(汇丰彩票平台,汇丰娱乐7年)3月19日 藤女子大学学長 渡邊 賴純

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